シン・エヴァンゲリオン 新劇場版:||
2021/05/03(月)追加
作品情報
制作年:2021年
制作国:日本
監督:鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏
主演:シンジ
助演:アスカ、レイ、マリ、ミサト、ゲンドウ
ジャンル:アニメ
人気シリーズの完結編。Thrice upon a time.
コメント
Alphonse 2021/05/03(月)
映画館にて鑑賞。
碇ゲンドウの人類補完計画の世界を描く。
というお話。
以下はネタばれになります。
まず庵野監督。26年間お疲れ様でした。
時代はロボットアニメ路線から、ファンタジー路線となり、
男の子が主人公の物語よりも、女の子が主人公の物語が全盛となる中、
よくぞここまで長い間、製作を中断させることもなく、
お蔵入りさせることもなく、この長いシリーズを完結させてくださいました。
ありがとうございます。
飽きもせず26年間それを支えた関連会社等のスタッフ。
そして、なによりも応援し続けたファンに感謝したいと思います。
いい映画でした。
ここからは内容に触れていきたいと思います。
テレビ版では使徒やら人類補完計画やら、
そういった世界観の構築要素の説明や結末を一切語ることなく、
主人公シンジ君の内面に迫り、
誰もが思春期に遭遇する心理的葛藤を、
サブリミナル効果を多用しつつ見事に映像化させました。
あくまで私見でしかありませんが、
音楽界でカリスマ的人気を誇り若い世代から圧倒的に支持された尾崎豊。
それはヤンキー世代と呼ばれる人々に多く支持された作品群でした。
一方のエヴァのテレビ版はアニメ版尾崎豊と言えなくはないでしょうか。
ヤンキーの言葉にできない感情を見事に言葉にした尾崎豊。
オタクの言葉にできない感情を見事に映像化したエヴァ。
ヤンキーではないけれど、ヤンキー達と同時期を過ごしたオタク系の少年達に圧倒的に支持され、
孤独を感じたり大人になることへの不安や、社会と上手く繋がることができない。
外に向かって暴れるヤンキーと、
内に向かってこもるオタク。
表層は違うけれど、抱えている本質的な悩みは同じ。
そんな感じを受ける作品だったからこそ、26年間支持され続けたのかもしれません。
それは今なお尾崎豊が一部で熱狂的に支持されているのとよく似ています。
次に「THE END OF EVANGELION」(以下旧劇場版)では、
テレビ版では描かれなかった使徒やら人類補完計画の説明をメインに描き、
それは一つの終着点でした。
そして本作は、
テレビ版と旧劇場版の両方の要素を持った最後となりました。
鑑賞前にある程度情報を入手していたこともあるのですが、
これは予想通りの展開でした。
しかも前作で終了するはずだったものが、
本作が最後になったということもあって、
起承転結のフォーマットどおり、
破壊の限りをつくした前作から本作は再生の物語になっていたことも、
これまた予想通りです。
「シン・ゴジラ」が早口でわかりにくいという批判があったこともあって、
旧劇場版では映像のみで一切説明らしい説明がなかったのに対し、
本作は随所でいろんな人物が物語を説明しています。
途中で説明を放棄して、「敵がいっぱいいます」には笑ってしまいましたが。
おかげで理解不能に陥る箇所も少なく、
(といっても意味不明の用語も多々ありましたが。)
最後までモヤモヤした気持ちになることもなく楽しめました。
「シン・ゴジラ」以降庵野総監督は明らかに作風が変ったように思います。
それまではマニア向けのわかる人にはわかるが、わからない人には意味不明。
そんなコアなファンが喜ぶような作品作りをしていたのが、
本作のようにある程度一般受けを狙った作風に変化したように思います。
顕著なのは序盤の田舎暮らしです。
おそらくジブリのスタッフが暇だったので、
それを最大限に活用したのでしょう。
ネルフの人間以外の人々の生活が描かれ、
世界系と呼ばれる閉じた世界観から、
開かれた世界観へ物語は広がりをみせています。
現実の東日本大震災以降の復旧がオーバーラップするような心地すらしました。
「シン・ゴジラ」以前ではありえなかった物語展開です。
他に書いておきたいことは。。。
物語が終盤に近づくにしたがって主要な登場人物が姿を消していきます。
旧劇場版では一度にみんな亡くなってしまう「イデオン」のような終り方でしたが、
本作は「さらば宇宙戦艦ヤマト」のように一人一人に最後の見せ場がありました。
テレビ版では行方不明だった加持さんまで登場して、
長年シリーズに関わってくださった声優さんへの配慮かもしれません。
ところでシンジ君がいきなり大人になってしまうのは違和感があります。
テレビ版ならもう少し丁寧に描けたかもしれません。
それを映画でやろうとすると、人類補完計画の説明がまた中途半端に終わってしまいます。
これは時間の関係で仕方ないでしょう。
最後は虚構と現実の狭間。
という「シン・ゴジラ」のキャッチコピーにもあるテーマでした。
もうふざけているというか、遊んでいるとしか思えず、
笑いながら観ていました。
最初にも書きましたが、シリアスな作風がもてはやされた時代から、
明るく希望に満ちた作風がもてはやされる時代。
26年の間にその時代の要請にこたえることが出来なければ、
おそらくこのシリーズは未完のままだったことでしょう。
ですから、序盤のレイの質問やら、レイがプラグスーツのまま風呂に入るシーンやら、
エヴァ同士が戦いながら、セットからはみ出すシーンなどは、
もはやこれは完全にコメディです。
これをシリアスにとらえることも可能でしょうし、
こういった自虐ネタを嫌う人もいるかもしれませんが、
私には面白おかしいドタバタ劇でした。
作画については26年の年月を感じさせてくれます。
随所にCGが登場し、モーションキャプチャーまであったのではないでしょうか。
手書きは手書きで大変だったとはおもいますが、
CGスタッフもかなり大変だったのは想像に難くありません。
特にアスカとマリでネルフに突入するシーンは圧巻でした。
一方で本作に出てくるメカデザインはどうしてこう独特なのか。
「ガンダム」のようなデザインをあえて避け、
ともすると怪物と生物とも思われるような不思議なデザインが山程登場しています。
そのため一見ではよくわからないのも確か。
説明されても結局よくわからない敵と戦っているのはテレビ版と同じでした。
そこが難点といえば難点でしょうか。
最後はゲンドウの人類補完計画を防ぎ、
別の選択肢による世界の再生を描いて終り。
テレビ版にもあった別の選択肢による世界。
パラレルワールドを物語の最後に持ってくる手法です。
テレビ版ではシンジ君の心理描写に力点を置くため、
数多くの選択肢の一つとして紹介したまででしたが、
本作ではエヴァのいない世界を物語の最後に持ってきました。
旧劇場版では説明もなく、いきなり実写が登場し、
面喰う方も多かったかもしれませんが、
本作ではしっかり説明され、すんなり受け入れられるようになっていました。
旧劇場版の頃のようにオタクを敵視するようなこともなかったように思います。
作画がどうのこうのと、
知ったかぶりするアニメファンに嫌気がさしていたのかもしれません。
「ヴイナス戦記」でも最後は実写でしたが、
本作も最後は実写。
ただ「ヴイナス戦記」とは違い、エヴァは終了し現実の世界に戻りましょう。
という感じで終了。
旧劇場版はファンを突き放すような感じがありましたが、
本作はすんなり現実の世界に戻してくれるような優しさがあります。
他に書き忘れたことと言えば。。。
ラストは旧劇場版と同じく「終劇」です。
本作はキリスト教をモチーフにしているので、
「THE END」
となるはずですが、香港映画の定番である「終劇」。
いかにも日本人が作ったなんちゃってキリスト教文化のお話。
という感じがしないでもありません。
あるいは26年前に香港映画が韓国映画のように隠れたブームだったから、
その影響かもしれません。
またフランスを舞台にフランス語をしゃべったり、
中国語をしゃべったり。
なにかと世界配給を視野に入れているのも窺えました。
もう書き忘れたことはないかな。。。
ガンダム(ここで言うガンダムとはファーストガンダム)をパクッているともよく言われます。
父子の確執。内向的な主人公。複雑な世界観。SF用語の多用。BL的要素。
しかしガンダムのように主要登場人物はそれほど多くはありません。
テレビ版が
1年間放送されたガンダム。
半年で終了したエヴァ。
で主要人物が少ないのは半ば当然。
大河ドラマと、3か月で終了するテレビドラマの登場人物の数を比較してみればよくわかるでしょう。
ガンダムが初見時に抵抗感があるのは、この主要人物の多さと地名、兵器、SF用語、人名が全てカタカナだからです。
一方エヴァは人名は日本人名。地名は現実に存在する地名。兵器とSF用語だけがカタカナ。キリスト教に由来した用語も多いので、連想しやすくなっています。
使徒の名前を一つ一つカタカナで解説したりするから、小難しくなってしまうのですが、テレビ版の頃から使徒は数字つきで呼ばれているだけです。
これはある意味仕方ないのですが、エヴァ以前のロボットアニメではガンダムが圧倒的な人気を誇っていました。
そのため、同系列のように並べて鑑賞してしまうのです。
敢えてガンダムとは違い予備知識なしでも理解できるように作り手が配慮しているにも関わらず、専門用語満載作品にしてしまう。
おそらく、ガンダムを知らない欧米人がガンダム初見時に連想するのは、鉄腕アトムやマジンガーZではなく、スターウォーズでしょう。
同じくエヴァを知らない欧米人がエヴァ初見時に連想するのは、ウルトラマンやガンダムではなく、マーベルやDCコミックのアメコミヒーローに違いありません。
それを顕著に表したエピソードが「イデオン」のテレビ版にあります。
異星人と遭遇した地球人は不戦を伝える意味で白旗を掲げて振ります。
しかし異星人には白旗は宣戦布告を意味しているため、徹底抗戦に出ます。
このように受け手の経験、興味、知識のバイアスによってしか連想されないからだろうと思います。
最後にどうしても書いておかないといけないのは、
「さよならジュピター」の主題歌「ボイジャー」が作中に流れたこと。
庵野総監督らしいといえばそれまでですが。
コロナ禍の最中、脳裏に浮かぶのは小松左京原作の「復活の日」か「アウトブレイク」。
全世界を巻き込むウイルスの猛威と言えば、やはり「復活の日」。
しかし「復活の日」の曲は英語の歌詞と版権の問題で揉めたのかもしれませんし、
タイムリーすぎて自主規制したのでしょう。
一方の同じ小松左京原作の「さよならジュピター」の「ボイジャー」は、
松任谷由美が歌っていて、ジブリ作品とも縁が深く、すんなり許可が取れたのでしょう。
余談という名の本論。
「さよならジュピター」は高校生の頃、映画館に観に行きました。
「スターウォーズ」やジャッキー・チェンやスタローンといった、
アクション映画が人気だった時代。
ちなみに「さよならジュピター」の特技監督は、後に「ゴジラ」の特技監督をつとめます。
一方「シン・ゴジラ」の監督でもある庵野総監督がこの作品が好きで、この曲を選んだというのも、何かしら運命的なものを感じてしまいます。
それはともかく「さよならジュピター」は派手な戦闘もなく、ただ地球を守るため木星に向かうお話。
最後は「アルマゲドン」のような終り方。
「スターウォーズ」や「アルマゲドン」のような特撮は望むべくもない作品でした。
それでもこの「ボイジャー」だけは作品の内容を象徴的に表していて、
私の中では名曲でした。
本作でも内容が一部重複する箇所があり、
あらためて「さよならジュピター」を観た時の高校生の頃に想いをはせる瞬間があったことが、
本作の最大の魅力でした。