ヱヴァンゲリヲン 新劇場版:Q
2013/02/11(月)追加
作品情報
制作年:2012年
制作国:日本
監督:庵野秀明、摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉
主演:シンジ
助演:アスカ、レイ、マリ、ミサト、ゲンドウ
ジャンル:アニメ
人気シリーズの3作目。同時上映は「巨神兵東京に現わる」劇場版
You can (not) redo.
コメント
Alphonse 2013/02/11(月)
映画館にて鑑賞。
ニアサードインパクト以後の世界を描く。
というお話。
新劇場版は単館上映が多く、いつの間にやら劇場公開され、
気がつくと公開終了していた。
なので、本来なら、テレビ放映されるまで待つのだが、
本作は日本テレビでの前2作放映効果か、近所で公開されたため
久しぶりに映画館に足を運んで鑑賞した。
以下はネタばれになります。
時間の経過とは怖いものである。
「THE END OF EVANGELION」
の頃のような熱も冷めてしまい、大した興奮のないままの内容となってしまった。
テレビシリーズは
「使徒って何?」
「人類補完計画って何?」
「ヱヴァって何?」
「アダムって何?」
「リリスって何?」
と疑問や謎がテンコ盛りだったため、それが人気の秘密だったが、
今では上記の疑問や謎はヱヴァ関連サイトやウィキペディアでその概要を知ることが出来る。
結果的に、新劇場版はヱヴァ関連サイトなどの情報をなぞっている感じになってしまい、
正直魅力が失せた感は否めなかった。
また、80年代のアニメ
「風の谷のナウシカ」
「AKIRA」
「北斗の拳」
などに代表される「世界が滅んだ後を描く」というモチーフは
1990年代ならいざ知らず、2010年代に堂々とやるテーマだったろうか?
高度経済成長期でバブル直前の日本だったからこそ
「今ある世界が全て崩壊したら。。。」
なんていうテーマが面白かったのだと思う。
ところが、2011年に3.11を多くの日本人が経験してしまった。
本作ではニアサードインパクトの後、ニアフォースインパクトが発生してしまうが
世界が崩壊するシーンは観ていて楽しいものではなかったし、
どんなに優れた作画でも絵空事に感じてしまった。
ニアフォースインパクトはこの作品の後半の見せ場なので外すわけにはいかなかったが、
時期がマズかった。
もっと早く、できれば20世紀中にやるべきシーンだったのだと思う。
その分、作画の質が落ちたり、CGで出来る所も手書きになってしまい、
本作ほどのクオリティは維持できなかったかも知れないが。
3.11は制作サイドも予測は出来なかっただろうから仕方ないとは思うが、
今更「世界の終わり」を見せられても。。。
という感じは否めなかった。
同時上映の「巨神兵東京に現わる」も影響したかも知れない。
これが冒頭に書いた「時間の経過とは怖いものである。」ということなのだ。
ここまで、好き勝手に書いてきたついでにさらに加えると
所詮、総監督庵野秀明は同人がそのままプロになったということ。
オリジナルのものを昨今求めるのは難しいとは思うけれど
あまりにもパクリが多すぎる。
巨神兵とかの特殊なエフェクトだけやる職人で、
全体を統括する監督なんかやる人じゃないんです。
だから、テレビシリーズでは使徒の血らしきものも一滴、一滴つぶさに書いているし、
新劇場版の破でも、ヱヴァが走りまわる度、車がひっくり返ったり、
地面から土煙が上がったりする演出などをやってればいい人なのです。
(そのため本作の冒頭。宇宙にヱヴァが出た途端、ヱヴァの質感が失われてしまった)
本作冒頭でのシンジが遭遇する戦闘シーンは言わずと知れた
「宇宙戦艦ヤマト」の発進シーンのパクリ。
波動砲こそ撃たないが、主砲を波動砲に変えればまさにそれなのだ。
艦長も「ヤマト」の沖田十三のようにも見えるし。
(まぁ、「ふしぎの海のナディア」のネモ船長に見えなくもないが。。。)
このあたりも本作をツマラなくさせる原因だと思う。
と、ここまで、否定的なことばかり書いてきたのだけれど、
なぜか次回作が気になってしまう。
それはきっと、観客に媚びずに作りたいもの作っているからなのだろう。
作品の評価など眼中にないのかもしれない。
ヱヴァはテレビシリーズの頃から嫌いな人は本当に嫌いなアニメだろうから。
「宇宙戦艦ヤマト」の発進シーンのパクリは、
実は私のような往年のアニメファンには、たまらない演出で、
「フライホイール回転」
なんて台詞を聞くとワクワクしてしまうし、
「エネルギー充填120パーセント」
なんて鳥肌ものなのだ。
内容もニアサードインパクトで壊滅的な打撃を受けた世界。
そして碇指令やネルフと袂を分かち反ネルフ組織「ヴィレ」で活動するミサトやリツコ。
戦艦「ヴンダー」の登場。
シンジと戦うアスカ。
ニアフォースインパクト。
ゼーレの死。
そしてアスカに助けられるシンジ。
など、まさに「新劇場版」と呼ぶにふさわしい
テレビシリーズにはなかった内容がテンコ盛りなのだ。
劇場で観たオマケとして
エンドクレジットを宇多田ヒカルの曲で観ることも出来たし
お馴染みの予告編を歌詞付きで聞けて
「合体したヱヴァ」まで登場し、
タイトルには
「シン・ヱヴァンゲリオン新劇場版:||」
となり、新しく「シン」の文字まで付くサービスぶり。
まさに次回作から「新シリーズが始まるのでは?」
と思わせるのだ。
テレビシリーズでも思わせぶりは総監督庵野秀明の最も得意な手法だったので
半信半疑ではあるが次回も「サービス、サービスゥ」
してくれそうです。
Alphonse 2014/09/06(土)
テレビ放映にて鑑賞。(感想その2)
テレビ放映でも「巨神兵東京に現わる」とセットで観るとは思わなかったが、
前回の感想同様
世界が崩壊するシーンは観ていて楽しいものではなかった。
詳しくは「巨神兵東京に現わる」に書いたのでここでは割愛する。
序盤の「ヴィレ」や戦艦「ヴンダー」の登場は、
いい意味で観客の期待を裏切ったと評価できる。
また、新劇場版が3部作から4部作になり、
本作は「起承転結」の「転」にあたる作品になる。
(決定ではないのでどうなるか分からないが。)
その意味で全体的にテンション低めは仕方ないが、
観客の目先を変えるという点は評価できよう。
それでも前回同様、大した興奮もないまま終了してしまった。
思春期の少年の心の葛藤を描いた点が評価されているようだが、
確かに中学生がリアルタイムでみると感情移入できるシーンはあるだろう。
それは認めるし、シンジにとって新劇場版での出来事は
心理的には1年足らずの出来事かもしれない。
しかし、公開時は新劇場版の序から数えると5年。
旧劇場版からだと15年も経っている。
当時、中学生だった少年たちも
30過ぎのオッサンかそれに近い年齢になっている。
そんな観客が中学生の少年に感情移入できるのかかなり難しい所だろう。
ここでも前回同様、「時間の経過」に面白さが半減した感は否めない。
本作はニアフォースインパクトも発生し、
「人類補完計画」が実行段階に移ったように見える。
しかし、主人公のシンジは何も知らないし、知らされていない。
ゲンドウの操り人形になってしまっている。
(実は「新劇場版:破」の最後の方でも同じようになっているが、
シンジがレイをどれだけ好きになるかはゲンドウもわからなかった筈で、
すべてゲンドウのシナリオ通りというのは出来すぎだろう。)
おそらく、シンジの状況は
ヱヴァ関連サイトやウィキペディアなどの情報を一切収集していない
ヱヴァ初心者のための配慮であり、感情移入しやすくさせるためだろう。
実は、この配慮がシンジの判断基準が人任せにせざるを得ない状況に
追い込んでいるのだ。
だから、シンジは
「父さんが…。」
「ミサトさんが…。」
「カオルくんが…。」
「言ったから」その行動とっただけなのだ。
おそらく大人でも同じように行動してしまう危険は十分にある。
現に何も知らないミサトやリツコ達もネルフで使徒と戦っていたではないか。
逆に言うと何もかも知ってしまうとこれほど登場人物が滑稽で
ツマラナイ作品もないということになる。
ここでも前回同様、疑問や謎が人気の秘密だった感は否めない。
一方、カオル、マリ、リツコは何もかもお見通し。
「そうか、そういうことか。」
「13番目の使徒?そんなはずは…。」
何が?と観ているこちらにはサッパリ分からないのだが。
テレビシリーズの頃からナレーションがないため、
作品世界を解説する登場人物が必要なのだろう。
(といっても解説になっていないが。)
さて、次回作は「3.0+1.0」とあったが、どうするつもりなのだろう。
時間的に古さを禁じ得ないし、
謎らしい謎も残ってないし、
最後の使徒は倒してしまったし。
ショートフィルムにして謎の解決編だけで終わらせるつもりなのか?
破壊の後の再生の物語を延々と描くのか?
3部作が4部作となったように5部作、6部と増えてゆくのか?
それとも、全く新しい設定で物語が始まってゆくのか?
(テレビシリーズで斬新な終わり方をしただけに、
どんな終わり方をしてもアリになってしまう所が怖い。)
まぁ、凡人の私には想像もできない結末かもしれません。
長くなったついでに
エヴァが混沌としてよく分からない作品になっている原因を考えてみた。
それは、この作品が多くの側面を持っているからだろう。
1.キリスト教的な世界観の側面。
2.パクリ作品としての側面。
3.シンジの成長物語としての側面。
4.総監督庵野秀明の私小説としての側面。
5.製作に伴う人・物・金といった現実的な問題の側面。
1.キリスト教的な世界観について
作品の導入部ではキリスト教的な世界観が非常に重要な要因を占めていたように思う。
エヴァをはじめ多くの名前がキリスト教に由来している。
しかし、全部ではないためSF的な側面との辻褄が合わなくなり訳がわからなくなる。
2.パクリ作品としての側面。
特撮、実写映画、アニメ、SF小説とパクる内容は多岐に渡る。
それまでのストーリーよりパクった設定やシーンに内容を合わせていくから、
それまでのストーリーとの辻褄が合わなくなり訳がわからなくなる。
3.シンジの成長物語としての側面。
何か目標を達成するという話ではないから。
ただ、自分探しの旅に出て行くから訳がわからなくなる。
4.総監督庵野秀明の私小説としての側面。
作品に作者の個性が投影されるのは珍しいことではない。
庵野秀明の人格が理解しがたいのだろう。
まぁ、理解されにくいからアニメ監督なのであって、
他人と上手く対話できれば自分を絵で表現するはずはなかろう。
どこまで私小説かわからないのだがら、私小説として理解できないのは当然だろう。
5.製作に伴う人・物・金といった現実的な問題の側面。
現場の雰囲気。単なる思い付き。予算、人員、時間の都合。
そういった理由でストーリーを改変するから辻褄が合わなくなり訳がわからなくなる。
といったところか。
また、一つの事象にそれぞれの側面がリンクしていたり、
そうでなかったりするのだから、
どれか一つの側面だけで理解しようとしても出来ないのは当然なのだ。
まぁ、意図的に説明不足にして謎を残した方が面白く、
後で設定資料集などが売れるからわざとわからないように作ってあるというものある。
問題は、いろんなヒントを手掛りにファンが謎解きをして、
その5割か6割が正解してしまうところにこの作品の本当のカラクリがある。
(なんだかキャンブルで勝ったり負けたりするのによく似ている。
だから、ファンは設定資料集を買い漁り、新作が出れば映画館に足繁く通うのだろう。)
正解しなかった残りの5割、4割に関して製作サイドは黙して語らない。
ファンの謎解きも根拠がなかったり、単なる深読みの場合もある筈なのだが、
そういった事までは考えていなかったとか、
現場の雰囲気でとか、
単なる思い付きとか、
いう発言を目にした記憶がない。
だから憶測が憶測を呼び、設定も伏線もない事が複雑になっているように思う。
(もしかしたら、話の不備をファンに埋めてもらっているのかもしれない。)